唯一無二の存在の裏にあるもの

こんにちは、"デキる人材になれる・作れる・育てれる!"人材育成コンサルタントの松山カイトです

皆さん、子供の頃の想い出

ってあると思います。


しかったこと、

しかったこと、

しかったこと、

なことなどなど。


そんな沢山の想い出の中でも、

放課後 友人達と駄菓子屋

などで好きなお菓子を食べながら

何気ない話をする時間

というものが私には

楽しい想い出として残っています。


また駄菓子屋と言えば同時に、

恐いおばちゃんや

おじちゃんにマナー

教えてもらう時間でもあった

と思います。


今や駄菓子屋自体も

目にすること少なくなり

ましたが、そんな中でも

人気を集めてきた

「元祖梅ジャム」

というのがありました。


その「元祖梅ジャム」が昨年末、

約70年の歴史に幕を下ろした

そうです。


その理由とは?


実はこの「元祖梅ジャム」は

日本ではたった一人

作り続けてられてきたのでした。


その唯一の人物、高林博文さん

が引退したためだそう。


鮮烈な酸味が印象的だった

1個10円の「下町の味」


惜しむ声が広がっています。


実はこの"梅ジャム"は、

戦後の混乱の中から生まれた

ようです。


1945年12月頃、

富山県の疎開先から荒川区に戻った

高林さんの前には、空襲による

焦土が広がっていたと言います。


自転車で区内を回るうち、

ふと紙芝居屋が多いことに気づき、

集まった子どもたちに

煎餅が飛ぶように売れていく。


「煎餅につける甘いものがあれば、

受けるんじゃないか。

弁当に必需品の梅干しを甘くして・・・」

ひらめいたのだそう。


梅干しを煮詰めて甘みや小麦粉を加える。


配合を変えては何度も作り直したようで、

47年に16歳で梅ジャムの

製造・販売を始めたところ、大当たり。


紙芝居屋が減っても、

駄菓子屋に置かれるようになったのだそう。


ベビーブームが追い風になり、

1970年代からしばらくの間は

1日1万5000個を製造。

梅肉にこだわり、季節や梅の状態で

味付けを微妙に変えてきました

梅を鍋で煮ては練り、

1個約30キロのたるを

上げ下ろしして作り続けたのです。


しかし、平成に入ると

駄菓子屋が相次いで姿を消し、

需要は先細りに。


長年の力仕事がたたり、

この5年間で股関節などの手術を

繰り返したとのこと。

心臓発作を抑える薬も手放せなく、

昨年「そろそろかな」と言うと、

妻の幸江さんは

「いいんじゃない。

がんばってきたからね」と

引退に賛同してくれたと言います。


長年、梅ジャムを販売してきた

荒川区の駄菓子屋・大屋商店には

今年に入り、

「生産が終了したって本当ですか」

「まだ在庫はありますか」という

問い合わせが相次いだと言います。

40個入りの箱ごと買っていく人

もいるほど。

同商店は「懐かしいお菓子が

なくなってしまった」と話します。


インターネット上でも

「小学生の頃に駄菓子屋で必ず

買っていた。受け継がれてほしかった」

などの声が広がり、通販サイトでは

一時、3倍近い値が付いたのだそう。


高林さんは「今は寂しさも悔いもない。

精いっぱいやってきたから。

皆さんに人気商品に育てていただいて、

感謝しかない」と話していました。


唯一の生産者、事の始まりから

シナジーを生み出す発想から始まり、

70年以上にも及び刃を研いできた                                    事が伺えます。


しかし、年齢のこともあり、

何時までも続けることはできない

という結果かと思います。


個人的にもお世話になった

「梅ジャム」、懐かしく

いろんな想い出と共に

思い出される商品です。


高林さん、良い想い出をありがとう                                                 ございました。そしてお疲れ様でした。


 

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